”『カルチャーが死んでしまう』
コロナとロンドンバスを巡る2年
神田明神のイベントで現場の担当がシャトル・バスでした。
その前の月のイベントまでは普通のリムジン・バスをレンタルしていたのですが、ある日突然ロンドンバスが現れた!
衝撃の出逢いというか、かつてイギリス滞在中に何度も乗車したこともあるし、初めての時もこんな興奮は無かったけど、 瞬間にインスピレーション掻き立てられて、アイデアがどんどん湧いてきました。
神田明神から出発、皇居のお堀端を通ってイルミネーションの丸の内に入り東京駅までを巡回する、片道20分のクルージングとしてはこの上ない最高のコースです。
このコースを囲む一帯はかつて『一丁倫敦(ロンドン)』と呼ばれ、明治の近代化のひとつの象徴的な場所だったとか、この奇跡のコラボ?というか心地よい親和性に包まれ、季節はちょうど秋から年末にかけて、街路樹の紅葉や、イルミネーションに映える石畳、渋く鮮やかな神社のライトアップを背景にロンドンバスが、東京の街になぜか自然に溶け込んでいくのを、バスの窓からただユラユラ眺めてるのが習慣(月2,3日 半年間)になると、この頃にはクラウドファンディングを意識して、プロジェクトの準備を始めてました。
しかし、ほどなく最初の緊急事態宣言
誰もが同じ経験をされたことだと思いますが、すべてはリセットされ、そしてもっともショックだったのは、最初2台所有していたロンドンバスのうち1台をさる希望者様の申し出で、手放してしまったことでした。こうして、1年がなんの希望もなく過ぎ
今年の2月神田明神で文化庁の要請を受けて、コロナ禍における実証実験的なイベントが開催され、この時も私の担当はシャトルバスでした。
感染症対策の徹底を課されて、オープントップバスを貸切って運用しました。
冬の最中でしたが、この時期(コロナ禍)の開放感は寒さに勝ります。
オープントップに広がる丸の内の夜景はまさに『シティ・ポップ』の世界!
インバウンドが戻ってきたら、絶対クルージング・ツアー組みたい!
今まで街ですれ違う度に軽くライバル視していたオープントップが素晴らしくて、異なるポテンシャルを持つコンテンツが揃ってる、この業界の可能性に驚きました。
しかし、ハトバスの広大な高速バスターミナルは、ポツンと私達のバス1台だけで占有状態でした。
3日間バスガイドさんも毎日変わりましたが、みんなパンデミック発生以来(ほぼ丸1年)その日が初仕事だそうです。
ただ呆然とするばかりで、改めて思い知りました。
『カルチャーが死んでしまう』胸の中でつぶやいて、なにか使命感のようなものを帯びて、このプロジェクトの準備を再開しました。
”『カルチャーが死んでしまう』
コロナとロンドンバスを巡る2年
神田明神のイベントで現場の担当がシャトル・バスでした。
その前の月のイベントまでは普通のリムジン・バスをレンタルしていたのですが、ある日突然ロンドンバスが現れた!
衝撃の出逢いというか、かつてイギリス滞在中に何度も乗車したこともあるし、初めての時もこんな興奮は無かったけど、 瞬間にインスピレーション掻き立てられて、アイデアがどんどん湧いてきました。
神田明神から出発、皇居のお堀端を通ってイルミネーションの丸の内に入り東京駅までを巡回する、片道20分のクルージングとしてはこの上ない最高のコースです。
このコースを囲む一帯はかつて『一丁倫敦(ロンドン)』と呼ばれ、明治の近代化のひとつの象徴的な場所だったとか、この奇跡のコラボ?というか心地よい親和性に包まれ、季節はちょうど秋から年末にかけて、街路樹の紅葉や、イルミネーションに映える石畳、渋く鮮やかな神社のライトアップを背景にロンドンバスが、東京の街になぜか自然に溶け込んでいくのを、バスの窓からただユラユラ眺めてるのが習慣(月2,3日 半年間)になると、この頃にはクラウドファンディングを意識して、プロジェクトの準備を始めてました。
しかし、ほどなく最初の緊急事態宣言
誰もが同じ経験をされたことだと思いますが、すべてはリセットされ、そしてもっともショックだったのは、最初2台所有していたロンドンバスのうち1台をさる希望者様の申し出で、手放してしまったことでした。こうして、1年がなんの希望もなく過ぎ
今年の2月神田明神で文化庁の要請を受けて、コロナ禍における実証実験的なイベントが開催され、この時も私の担当はシャトルバスでした。
感染症対策の徹底を課されて、オープントップバスを貸切って運用しました。
冬の最中でしたが、この時期(コロナ禍)の開放感は寒さに勝ります。
オープントップに広がる丸の内の夜景はまさに『シティ・ポップ』の世界!
インバウンドが戻ってきたら、絶対クルージング・ツアー組みたい!
今まで街ですれ違う度に軽くライバル視していたオープントップが素晴らしくて、異なるポテンシャルを持つコンテンツが揃ってる、この業界の可能性に驚きました。
しかし、ハトバスの広大な高速バスターミナルは、ポツンと私達のバス1台だけで占有状態でした。
3日間バスガイドさんも毎日変わりましたが、みんなパンデミック発生以来(ほぼ丸1年)その日が初仕事だそうです。
ただ呆然とするばかりで、改めて思い知りました。
『カルチャーが死んでしまう』胸の中でつぶやいて、なにか使命感のようなものを帯びて、このプロジェクトの準備を再開しました。
”『カルチャーが死んでしまう』
コロナとロンドンバスを巡る2年